皇の時代を生きるために・・・

「頑張る」ことと「頑張らないこと」どっちが大事?

頑張ることを止めなさい、と言われたらあなたはどう思いますか?

風の時代になり「頑張らないために頑張る」とか「頑張ることを頑張らない」とか、結局頑張るのか頑張らないのかどっちが良いの?と悩まれる方もいらっしゃると思います。

頑張るのが良いとされた価値観と頑張らないのが良いという価値観。

今この両方の価値観が混在している中で私たちは生きています。

頑張るのは是か非か?

 

そもそも「頑張る」は困難にもめげずにやり通すと言った意味の他に、「我を張る」という意味もあるため、「我を張るのは良くない」ということから、「顔晴る」という漢字を使う方もいらっしゃるほどです。

今日はそこの部分は置いておいて、忍耐強く努力してやり抜く意味の「頑張る」について書かせてくださいね。

「頑張る」は努力してやり抜くという意味があるため、小中学校の頃は親にも先生にも頑張りなさいと言われることが多かったと思います。

昭和の時代を生き抜いた人たちは、頑張るのは当たり前!是か非かなんて質問さえナンセンス!頑張らない奴は生きる資格無し!ぐらいの価値観だったように思います。

しかし、平成の時代にスポーツ選手に対して応援の気持ちから「頑張って~!」なんて応援しようものなら、「これ以上頑張れというのか!?」と批判と捉えられ、今やスポーツの応援時に「頑張れ~」は言えなくなってしまいました。

そして令和の今は、「頑張らない生き方」が大事とされています。

「頑張る」「頑張らない」の価値観の変化

昭和の時代は頑張るのは当たり前!頑張らない奴は出ていけ~!なんて言われかねない時代でした。

格言う私は昭和の価値観で育っていますから、頑張るのは当たり前!頑張らないのは人間失格ぐらいのこととその価値観が体に染みついておりました。

しかし令和の今は、「頑張らなくていいんだよ」という考え方が時代の先端になりつつあります。

私はこの価値観をなかなか受け入れられずにおりましたが、これを受け入れるのに1年かかりました。

なので、今は「頑張らなくていいよ~」というスタンスで居られますが、この価値観の変化を受け入れるのは相当容易ではありませんでした。

女性起業家として持っていた価値観

 

私は起業して36年経ちましたが、この間ずっとやっていたことがあります。

それは、誰かに励まされたり、アドバイスされたりすると
「はい!頑張ります!!」と、返事をしていたことです。

それは、頑張るのが当たり前、頑張らない人間はダメ、頑張って成果を上げなければ認めてもらえない・・・というある意味勝手な思い込みというか、昭和の価値観で返答を重ねていたのです。

もちろん、その価値観がダメだなんて到底思っても居ませんでしたので、いつも最善の返事をしているつもりでした。正直な所、頑張ってる私・・・偉い!ぐらいに思っていました。

しかし、風の時代が始まり、生きやすさに重点を置く価値観が良しとされてくると、このままでいいのかしら?と、ふと疑問がわくようにもなっていました。

でも、頑張らないといけない!頑張らない選択をしようものなら、それは自ら堕落することであり、ただ怠けているだけ、ダメの典型に成り下がるだけ・・という考えから抜け切れずにいました。

価値観を変容させるための強制手段

そんな私に突然頑張れない状態が訪れます。

2022年3月ある月曜日の朝4時に強烈な腹痛で目が覚め、トイレに駆け込むことに・・。上からも下からも出したら少しスッキリしたものの、腹痛は治まりません。徐々に熱も出てきました。

コロナで腹痛って聞いたことないなぁ・・と思いつつも、コロナの可能性も否定できず、もしコロナだったら、一昨日いったレストランが営業停止になるかも知れない・・なんて不安を抱きつつ、家族にも接触しない方が良いとただただ自分の部屋で休んでいました。

こんな時は水分が大事!と、食事はできなかったけど、ダイエットになるかも・・なんて思いつつ、ジュースとアイスクリームを部屋に運んでもらっていました。しかし、大好きなアイスクリームすら受け付けなくなってしまいます。

一晩寝てたら少しは良くなるかと思いましたが、翌日になっても熱も下がらず痛みも続いていたので、近くのクリニックに診察してもらえるか確認して、車椅子を借りてきてもらってそれで診察に向かいました。

PCR検査で陰性が出るまではコロナの可能性もあるため、点滴と痛み止めの薬を出されて帰宅しました。痛み止めを飲んだのに一向に痛みが治まらず、とうとう夜に救急車を呼ぶことになり、動けない私は這うようにして何とか担架に乗せてもらって救急車に乗せてもらいました。

コロナ真っ最中でしたので、受け入れ病院がなかなか見つからず、救急隊員の方々のご苦労を目の当たりにしました。最終的に徳洲会病院が受け入れてくれて入院、そして手術することになりました。

病名は胆石による胆嚢炎で、胆嚢全摘手術を行ないました。

手術は眠ってる間に終わるし、手術も切開ではなく、穴を開けて内視鏡で行うため、ダメージも少なく、医学が進歩していてとてもありがたいと思いました。

手術は無事終わり、5日で退院できたのですが、ただでさえ運動不足だった私の筋肉がほぼゼロになっていました。

そこから筋肉を復活させるまで、否が応でも無理が出来ない状態となりました。

その後も2カ月後に母が白内障の手術をすることになり、その病院探しや検査、手術の付き添い、通院と、ずいぶん時間を取られるようになりました。

その当時は必至で筋力を付けるために頑張ったり、母の通院などに時間を費やし、当然ながら仕事を頑張れる状態ではありませんでした。

今振り返ると、去年1年かけて価値観の移行をさせられてたのかな?とか、強制的に頑張れない状況に追いやられたのかな?と思います。

頑張ることを手放すことに・・。

このように半ば強制的に頑張れない状態になり、これまで仕事一筋に36年頑張ってきたのに、それを手放さなければならない状況にさせられたのです。

そしてこの「頑張る」を手放したら、これまで頑張っていろいろなことを学ばなければいけない・・という学びに対する欲までもがきれいさっぱりなくなっていました。

現在オンラインビジネスコンサルタントをメインの仕事として活動していましたので、あらたなSNSのことやオンライン上の集客ノウハウなど、常に学ばなければ!学ばなければいけない!と自分を追い込んでいたことにも気づけました。

この1年間コンサルをして頂いていた方にはずっと言われ続けてきたことがあります。

「もう学ばなくても全部持ってるでしょう?目新しいと思って学びたい!と思うかも知れないけど、マーケティングもSNSもベースは一緒だから、すでに持っているもので充分ですよ。」

最初の頃は「そんなこと言うけど、まだまだ学ばなくちゃいけないことが私にはあるんですよ~」って、心の中で思っていました。

今ようやくその言葉の意味を理解することができます。

頑張らないこと、学ばなくちゃいけないという気持ち・・・手放してみたら、なんて軽やかなんでしょう!?

なんであんなに必死で自分を追い詰めていたんだろう?

 

「頑張る」を止めるって相当勇気が要ることだけど、自分らしく生きるためには頑張らない方がイイんだ!と納得できました。

起業して36年の私が、これを手放すのに1年かかったのですから、これを読んでいるあなたもすぐに手放すのは難しいかも知れませんが、手放してもイイかも!というタイミングがきっと訪れますので、そのときに手放すのでも良いと思います。

風の時代・・・2022年12月22日の冬至から新しい地球で生きる人と古い地球で生きる人が混在している時代となりました。

このタイミングで古い価値観を手放すことができて、本当に良かったと今は思っています。

「頑張る」「頑張らない」はどちらが良いとか悪いとかではなく、時代の価値観と共に評価が変わるものだという事を知るだけでも価値あることだと思います。

私は頑張る自分が好きでしたので、36年間も頑張り続けることを続けてきましたが、もし今当時の自分に出逢う事ができたら、「そんなに頑張らなくていんだよ♪もっと肩の力を抜いて楽にやったって大丈夫だよ♪」と伝えてあげたいと思います。

 

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